HOMEコラムINDEX>建築家のコラム
第99回 荻津郁夫

『安心は安全?』

何をいまさらそんなことを、と言われそうだけれど、去年の秋、グーグルマップを見て感心した。それまで地図はヤフーで見るだけだったし、それで用は足りていたのだが、地図と航空写真の切替や場所の移動やズームが自在なグーグルには、同じ地図なのに何か質の違いといったものを感じさせられた。かなり革新的な技術だということをあとで読んだが、何がどう革新的でどんな可能性があるのかは、まだよく理解できていない。ここ10年そこそこのインターネットの(そう、初めてネットに接続しようとして、設定に1週間かかったものだ)爆発的な普及によって、ウェブの世界が空気のような存在になってきた。ほぼ無料感覚でどこからでもアクセスできるし、それなしには生活も仕事も不便極まりないだろう。慣れれば慣れるほどにその恩恵にすら無意識になっていく。その道具の成り立ちを考えることもなく、ましてやその空気のようなものに含まれる毒や危険の種には思いも及ばない。グーグルマップでは家一軒一軒がはっきりわかる。おそらく歩いている人間だって判別できる解像度もあるのではなかろうか。

ネットショッピングにもずいぶん慣れてきた。初めのころはクレジットの番号を入力するのをためらったりもしたものだが、何かがほしいときにはまずネット検索、スピード、手軽さ、そして慣れ。自分の体をまったく動かさずに商品が届くのだ。アマゾンにアクセスすると、「あなたにお薦めの商品があります」とくる。今まで買った商品、チェックした商品を元に自動的にお薦めが表示される。どうも自分の行動や生活が見透かされてしまっているようで一瞬立ち止まるが、やはり便利さにながされてしまう。ETCだって、料金所で止まるわずらわしさがなくなり、渋滞も緩和される反面、行動が全て記録されているわけだ。Suicaもカードならまだ匿名だけれど、携帯電話に組み入れたら個人の行動の記録になる。どうもオサイフケータイには踏み込めない。リスクが読めない。

最近キッズケータイなるものを知った。子供用の簡易なケータイかと思いきや、一般の機能にさまざまな安心機能が付加されている。GPSで居場所の探索ができ、電源が切れると自動的に現在地が親にメールで知らされる。また、大音量の防犯ブザーが付いていて、ブザーと連動してカメラのシャッターが下り、居場所に加えて周囲の状況も瞬時に親へ届く。いまどきの子供はかわいそう。道草も監視されている。さらに、西日本のある小学校では、子供が持つICチップで登下校の管理をしているという。「おたくのお子さんは今登校しました(下校しました)」というメールが親元に届く。電車やバスの乗降の管理も同じような形で実験が始まっているらしい。その学校の親たちへのインタビューでは、全員が「子供の行動がわかって安心です」と答えていた。
どうもその答えに違和感がある。それで安心していいのか?。安心がかえって安全を脅かしてないか?。全ての行動が管理され機械に守られた子供たちが、危険や毒を察知する嗅覚をどうやって身につけていくのかが心配になる。

近頃は一般の住宅でも防犯の意識が高まり、セキュリティーシステムを導入する例が多くなってきた。窓センサー、エリアセンサー、監視カメラ、指紋認証、など、もちろん必要性は認めるけれど、それらの管理は当然ながら排除の論理の機械化であることを意識する必要があると思う。ひとつの住宅やオフィスやビルを守るための管理はよしとするにしても、都市空間の中にそれが広がっていったときには、管理されていない場所の排除が正当化されるかもしれない。ようするに、都市の中には原っぱや雑木林や露地があってはならないと。子供たちが自由に遊べる場所が消えていっていいのだろうか。それとも、ICチップをもったわが子の遊ぶ様子を解像度のいいグーグルマップのような形でリアルタイムに監視できる世の中がやってくるのだろうか。

2007/02/03

>コラムINDEXへ戻る