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第77回 荻津郁夫

『 パスかドリブルか 』

1ヶ月に亘ったワールドカップが終わり、ジダンの頭突きをめぐる話題が尾を引いているとはいえ、なんとなく平常な日々が戻ってきたようでホッとしているこの頃です。
「なんでワールドカップの選手たちは、すぐにパスするの?」とビデオを見ていた小学3年生の息子に聞かれ、「えっとー、ボールを早く進められるシー、相手をかわせるだろ、、、」と答えてみるが、なんとなく歯切れが悪い。息子もれっきとしたサッカー部員なのだが、コーチからはボールを持ったらまず前を見てドリブルで進むのだ、と常日頃教えられているのである。頻繁に練習試合もあるが、ゴールキーパー以外のポジションはまだはっきり決められていないし、戦術も相手ボールになったらみんなでボールをとりにいく、ボールを取ったらドリブルで前へと、いたってシンプル。泥臭く粘りのある試合運びで結構勝ち試合も多い。ただし、相手チームがポジショニングをしっかりしていて、サイドチェンジのパスなんか多用してくると混乱してしまう。何でこいつらドリブルしてこない、最初からパスなんてずるい感じだ、となる。でもコーチは戦術を変えない。パスへの対応は自分らで考えてみろ、そして攻めるときはまずドリブル、最初からパスはなし。コーチいわく、この時期の子供たちに試合でのパス戦術を先に教えてしまうと、目先の試合での勝利は増えるがその先伸びないことが多いのだという。パスで楽にかわすことを覚えてしまうとドリブルを、つまり前に出ることを覚えないのだそうだ。ドリブルは今教えないと手遅れになるがパスはそのあとでも大丈夫という。なるほど判る気がする。日本代表の中盤を思う。目的はゴールを奪うことのはずなのに、時にそのプロセスでしかないはずの華麗なパス回しが目標になってしまっているのではと感じられたりもする。レベルこそ違うけれど、子供たちの場合も、一人で強引にゴールへ向かう子を活かすよりも、パスをけれる子を中心にしたチーム作りのほうがまとまりがよい。いわば民主的なのである。本来の意味でのストライカーが育ちにくい所以だ。ストライカーのメンタリティーとは、自分がアシストして1対0で勝った試合より、自分がハットトリックして負けた試合の方に喜びを感じる、のでなければならないという。教育の問題であり、文化の問題である。ものづくりの場面でも、たとえば、個々の技やアイデアを鍛えて前に進もうとするドリブル形と、多種多様な流通の網の目の中から鋭い選択眼で物をピックアップして新しさを生み出そうとするパス型とがあるとすれば、同じような問題が浮かび上がってくるのかもしれない。
2006/07/22

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