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第69回 高橋晶子

『 ギャルソンを着るとき 』

ギャルソンの服は昔から好きだ。
「今日は良い天気ね」と言う代わりに「今日の服いいね」で始まることが多い建築仲間の挨拶。そのなかでもけっこうギャルソンは頻繁に登場する。学生からかなり年上のひとまでが、同じシリーズのデザインを着ていたりもする。
学生だった四半世紀昔、カラス族というのがはやったころに買った記念すべき第一着目のブラウスは、さすがにくたびれてるが、今も時たま登場する。

80年代初頭、モルタルの床のインテリアに黒い服が延々と並ぶショップの光景は、他のショップとものすごい対比を見せ、緊張感にあふれていた。
ちょうど自分自身、本格的に建築を学ぶ環境に身を置いて、さあやるぞ的時期に出会ったのがいいタイミングだった。何かを表現するために、内向していくことにシンクロしたんだと思う。

最初は全身黒ずくめであること、そしていわゆるオーソドックスなスタイルからはずれたシルエットの新鮮さに惹かれた。
そのうち服の観念を破るさまざまな作り方について意識的になった。そういう服を実際試着してみて、自分が実際どう感じ、どう見えるかを試している、そんな繰り返し。いわゆる定番的なもの、不安と期待が混ざったチャレンジングなもの、過剰にならずしかし平凡でもないもの、「ハードルの高さ」はいろいろある。今はそういったギャルソンという存在全体が、開放感と一種の着やすさを感じるものとなって、私の中に定着している。スカートが破れてると知らない人から話しかけられたり、手作りかと聞かれたり、変なものを着てると親から注意されたりしたことも面白がっている。

ギャルソンに多い巻きスカート系が好きなくせに着こなせないのが気になっている。アジアや中東の人たちは日常的にはいてるのに、私の身体は彼らと違う動きをしているんだろうか?風を受け裾が開くという不安と、パンツに比べると動きがカタイことがハードルになっている。これが気にならなくなれば、よりアジアな自分が見つかりそうなのだが・・・。

2006/05/28

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