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第55回 栗原正明

『人民服の事』

ある服飾デザイナーが答えていた雑誌のインタビューの記事に、次のような話しがありました。自分がデザインしたもの以外で美しいと思った服装の例として、その人は中国の人民服を挙げていました。一昔前に訪れた中国の街中で、色も素材も似通った服を着た人々が行きかう風景を見て、とても美しいと感じたと言うのです。一着の人民服が美しいのではなく、それを着た人々の集団が美しかったと言う事でしょう。

もっともその時実際に人民服を着ていた人々は、それに対して美しいとか美しくないとか考える事はあまりなかったのだろうと思います。物が美しいと言う事は、それだけ見る人の立場や周りの状況によって変わってしまうのだ、と改めて感心してしまいました。

その話しが気になった事にはもう一つ理由があって、実は私自身も人民服に淡い憧れを持っていた事があったのです。但し美しいからと言う訳ではありません。学生の頃ファッションとか流行とか言うものが嫌いだった私は、自分の服を買う時にはなるべく個性の無い物を選ぶようにしていました。色は原色などの強い色は避け、形は飾り気が無く単純な物と言うように。しかし意外とそうした服を探す事は難しく、人民服のような服があったらいいなと、漠然と考えていたのです。

もっとも正確に言えば、私が探していた服はあくまで人民服のような服であって、人民服そのものではなかったのだと思います。もし私が本物の人民服を着て学校に通ったら、友人からからかわれ、ご近所からは白い目で見られた事でしょう。私は人民服の飾り気の無さに好感を持ちましたが、私がどう考えるかとは関係なく、周りの人々はそれを見て別の判断をしただろうと思います。もし飾り気の無い人民服を飾り気無く着る為には、友人やご近所の方々にも同じような人民服を着てもらわなければならなかったのだと思います。まるでかの服飾デザイナーが訪れた時代の中国のように。

学生時代にそこまで考えた訳ではなかったのですが、私は結局人民服を買う事はありませんでした。数年前初めて中国を訪れた時には、既に街中でそれを着ている人に出会う事はなく、路上のみやげ物売りの台上に、赤い毛沢東語録が並んでいるだけでした。

2006/02/04

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