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第53回 荻津郁夫

『ヒノキ風呂から考える』

いま、東京根津にある風呂店にヒノキ浴槽の製作をお願いしています。もちろん材料はしっかりした木曽檜で手作りになります。いままでさまざまな浴槽を設計のなかに組み込んできました。檜やヒバや高野槇の丸い樽、長さ5mの木製浴槽、古代檜や防腐注入材を使ったこともあります。大きな一枚岩を切り出したものは中国大陸から船で運びました。ところが今回のヒノキ風呂は木曽に頼むより都会のど真ん中に発注するのがよさそうなのです。木曽に頼もうとすると、いわゆるカタログをもとに指示をして販売店が木曽の工場に発注することになります。工業製品です。原料産地に近く大量生産に対応できる工場で作るメリットは大きいと考えられています。が、コスト面でも品質面でも必ずしもそうはならないようなのです。発注数量や納期、形状などさまざまな因子によりますが、合理的といわれてきたシステムを鵜呑みにはできないということです。根津の工房の主人の一言が暗示的です。生の木を浴槽に使ってきたのは日本の文化だからね、その文化を創っているわけだから、と。流れ作業ではなく一人で責任を持って、板の接合にはシリコンではなく折れ釘を、と。

ヨーカ堂と西武そごうが経営統合する意義のひとつは、郊外に依存したビジネスモデルからの脱却だそうです。スーパー、カーディーラー、住宅展示場、外食チェーン、コンビニなど、人が増え都市が郊外へ広がる前提で全国一律の便利さと品質を提供するビジネスの限界が見えてきたようです。昔ながらの御用聞き、つまりデパートの外商にあたる商いの仕方を将来の柱にするのだそうです。消費者も絶対的な価格の安さを求めるのだけではなく、ほんとに欲しいものを提案してくれるサービスには対価を惜しまないのだと。インターネットの発達で本当に全国一律あるいは世界中の情報が誰にでも手に入るのではという感覚がいきわたり、若者が昔ほど都会へ憧れを持たなくなったともいいます。しかし、ほんとに欲しいものは自分の中にはっきりとあるわけではなく、人との出会いやかかわりのなかで漠然とした夢や憧れが突然に形になるといったように浮かび上がってくるような気がします。これは実は、設計のプロセスそのものなのですが。

釘孔の埋め木が一律ではないヒノキ風呂に入りながら、手仕事の痕跡を辿り木が生きていた場所に思いを馳せながら過ごす時間、そんなことを大切にする文化がこれからの豊かさを支えていくのかと、ライブドアショックのニュースを聞きながら考えています。

2006/01/21

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