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第40回 鈴木信弘

『祇園まつり』

京都祇園に行ってきました。

先日、久しぶりの休みを取って妻と両親を交えて京都の祇園祭を見てきました。京都に今まで訪れたのは4回。修学旅行では行かず、大学時代には安藤忠雄や高松伸の建築を見るためオートバイで来てユースホステルに宿泊したり、研究室時代に路地の研究とやらでサウナに泊まって歩き回ったことはあっても、所詮貧乏な学生時代。京都で食べたものなど記憶のすみには全くないのです。
そこで5回目の京都でのメインイベントは、恥ずかしながら「建築」ではなく、非日常である「祭り」と「料理」を堪能する旅です。
貴船神社の「ひろや」の川床料理や、手鞠寿司で有名な「六盛」の料理、嵐山嵯峨野「良弥」の豆腐料理などのグルメツアー!を望んだのです。もちろん京都ラーメンの名店探しも外せませんから密かな計画のひとつです。
しかし京都についてみると、梅雨明けに重なってかなり暑い!
せっかく新調した麻のシャツも汗でしみしみ。爽快気分な休日のイメージが、前夜の宵山では52万人が街頭に繰り出す最中、私たちも人波にもまれながら相当な距離を歩き廻りさすがヘトヘト。
京都祇園祭と言えば由緒正しい日本三大祭の1つ。869年の平安京に疫病が流行した時に「これは祇園牛頭天王の祟り!」としてその退散を祈願して当時の国の数である66本のホコを立てたのが始まり。現在はゆうに建物の3階高さはあると思われる23基の鉾(ほこ)が京都の街を練り歩く様は圧巻ですが、ふとその鉾の背面を飾る「見送り」と呼ばれるタペストリーには、旧約聖書の創世記を描いたもの、トロイ戦争の王様と王妃の別れを描いたもの、というようにすべて海外の宗教的な物語を描いたものでした。街を練り歩いた後には八坂神社に奉納される鉾、ということは「神道」の祭なのになぜキリスト教の旧約聖書、イスラム教典の飾りが許されるのだろう????
「江戸時代に輸入されたものが多いのだそうだが、ずいぶん優雅で寛容な時代だったのだなあ。もしヨーロッパのキリスト教の祭事で仏教の物語を飾ったら、かなりヤバいと思う」のだけれど、神道は偶像崇拝でないためかとても寛大!でも祇園祭といえども現在の状況はなかなか厳しいようだ。山鉾は伝統的に「町中」と呼ばれる街区単位で、旦那衆が財産としてお金を出し合い維持をしていたものだったが、明治以降の税制や保護制度の撤廃で事実上維持が不可能となり衰退していき、山鉾の担ぎ手も減り、タイヤをつけて引っ張るようになり、既にボランティアによる引手を毎年捜さなければ巡行を実現すらできないほどになっているとは知らなかった。したがって外国人だけで引いている山鉾があることにはビックリ。彼らはとても誇らしげだったけど。
さらに宵山の日に行われる「屏風祭」という旧家の秘蔵の屏風や書画を家屋の表格子を外して道行く人に見てもらう行事にいたっては展示している家屋がめっきりと少なく、どこの祭りでも登場するかき氷やたこ焼、焼きそばの出店の数が圧倒的に多くて、祇園囃子の情緒も次第に薄れてきているのです。
祭りを楽しむはずだったのですが、少しばかり考えさせられました。
「古きを懐かしむばかりではいけない!京都も変わってくのだ!」、
「昔ながらの情緒を求めて多くの人が京都に訪れるのが事実、保存せよ!」
「保存たって、代々引き継ぐ者がいない。住んでいない他人の身勝手だよ」
なんて様々な課題を投げかけられつつも、観光客である私は、浴衣姿と団扇のスローな生活を楽しみがら、日本の伝統料理に舌づつみ。
満腹になったらなんだか考えることが出来なくなってしまいました。
これも異常気象の暑さのせい?

2005/07/29

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