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第39回 二宮 博

『固定するとうごくもの』

ある日、ふと東向きの大きな高窓を見上げると鳥の群れがきれいに雁行して飛んでゆくのがみえました。そのまま建物の上空、つまり西のほうへと進んでいったので窓の上枠いっぱいまで見届けてから、なんとなく西側の上階まで追いかけていって行方を見守ることにしました。鳥はかたちをまったく変えずにそのまま小さくなって真っ赤な夕焼けの空へ消えていきました。高窓というのは時にまわりの家が視界から消えて空だけが切り取られる面白さがあります。窓の枠は雲の流れや月の運行を感じる測りになります。見晴らしのよい窓からは、ありふれた街並みしか見えないのに、地下につけられた高窓から雲や鳥の動きが思いもよらず縁取られて目にとびこんでくること。外にいれば気にもしない風景が、窓枠で固定されることでとても魅力的に見えてくること。建築というのは「箱男」のようなところがありますね。

ジム・ジャームッシュが冴えた映画を撮っていたころ、枠の手法が新鮮でした。「ミステリートレイン」では、安ホテルの3つの部屋で同時に起きた別々の出来事を別々の話のままオムニバスにしていました。隣室の銃声や×××声が聞こえることで同時刻であることがわかるのですが、時間とホテルが固定されていることでばらばらの出来事が異彩を放つわけです。「ナイトオンプラネット」では、タクシードライバーと乗客というだけで5つの話を並列しています。ヘルシンキとパリとローマとニューヨークとロスアンゼルス、いろいろな都市のいろいろな人種の滑稽を同時刻のタクシーという設定に固定することで、より描写を鮮明にしようというわけです。このやりかたはいまやテレビドラマやお笑い番組でも常套になっている感があります。たしかに借り物の手法だけにとらわれるならば陳腐化してしまうわけですが、当時はびっくりするほど鮮烈な作品というかんじが致しました。

昨日、「スーパーサイズ・ミー」というドキュメンタリーのDVDを見ました。アメリカ人がマックに代表されるジャンクフードで肥満していることが国の存亡にかかわる一大事だということで、作家みずからひと月マックのメニューだけで生活するとどうなっちゃうのかで告発しようという企画です。スーパーサイズというセットメニューの巨大さにテーマを固定することで、まさに病めるアメリカの一断面を切り取ってくれるのだろうと、粋なタイトルに大きな期待を込めたのですが、結果は残念ながら惜しくもはずれでした。まじめそうな作者は、あの手この手でジャンクフード商売のあざとさと健康被害を示そうとしているのですが、やや知的ニューヨーカーの奢りや一方的な作為が際立ってしまって。ひと月いやいや食べ続けて、その後はちゃっかりベジタリアンの彼女の手料理を食す健康的な生活に戻れているなんていうのは感心しません。もっとハマッてくれなきゃあ、でかくておいしいマックの恐怖が伝わらないんじゃないか。

この手の告発ものなら「ボウリングフォーコロンバイン」のマイケル・ムーアのほうに、より容易に真似できない世界観を感じます。つまり、国営放送のドキュメンタリーのように予防線を張ったおきまりの正義をそこそこに評価されようというよりも、批評のリスクや種々の圧力に屈せず正直にあっけらかんとやっているムーアのほうが、わざわざ映画やビデオでみるのには相応しいということでしょう。正義漢としてのマイケル・ムーアに特別興味はないけれど、自分には到達することができない物事の見方や切り取り方を示しているというのは少なくともわかるわけです。

アメリカ生活の長い友人が「コカコーラとポテトチップスだけで屈強な体に成長してとてつもない成果を生み出すのだから、米人には適わないな。」といっていました。彼の職場は、ある高名な物理学研究所です。そこにはややアメリカ的誇張があるのかもしれませんが、ジャンクフードが食生活を侵食しているならば、なぜ、コカコーラとポテトチップスで偉大な研究成果が生まれるのかも是非とも知りたいところです。こどもたちの大好物ビッグマックが世界中でどうその地域の生活に影響を及ぼしているのかにもすごく興味がある。パリでは?中国では?ロシアでは?東京では?大阪では?ビッグマックというリトマス試験紙が世界の各地でどんな色にかわるのか。ちなみに関西では「マック」ではなく「まくど」、(く)にイントネーションです。

映画の影響なのかどうかわからないですが、スーパーサイズのハンバーガーセットってなくなったらしいです。ぜひ今度注文してみたかったんですけれど、とても残念。最近、私は深夜の豆源(MAMEGEN since 1865)にハマっていますが、スーパーサイズにならないように気をつけたいと思っています。

2005/07/13

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