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第35回 池和田有宏

『イタリア山岳都市のフレスコ画に思う』

イタリア山岳都市の集合住宅については色々と建築的に取り上げられていますが、私が述べてみたいのは、この地域の中世からルネッサンスへと繋がってゆく、フレスコ画についてです。

時代的には初期の物は12世紀頃の絵ですが、日本では鎌倉期に当たります。しかしこの頃の日本の絵画の描写力との間には、雲泥の差があります。

平安時代の信貴山縁起絵巻等の生き生きとした人物描写や、鎌倉期の写実的な彫刻を思い浮かべると、幼いキリストを抱いているマリアの絵“マドンナ コン バンビーノ”はまるで丸太ん棒を抱えているマリアのような印象を与えます。しかし例え技術的には稚拙でも、私はその素朴さに惹かれました。。

油絵と違って二色の色を混ぜてもその中間の色を出せない材料の性質上、細かな色の描写には不向きですが、素材そのものの持つ色の純粋さが感じられ、風景の描写では大和絵風の印象を与えます。それでもかなりの絵は私にとって、少々退屈な代物なのですが、丁寧に見ていくと自分の好みの画家が次第に識別されてくるようになります。もう数十年も前の思い出なのでかなり名前も忘れてしまいましたが、例えば、サーノ デ ピエトラ、アンブロージュド ロレンツェット、ピエトロ ロレンツェット、等一般の絵画史では聞き慣れない名前が思い浮かびます。

ここで重要な事はこれらの先人の存在があってこそ、後の絵画史に残る画家が輩出してきたことです。シモーネ マルティーニ、パオロ ウチェッロ、ベアト アンジェリコ、マサッチョ、ピエロ デッラ フランチェスカ等々、彼らの作品には一見してそれと解る個性的な色の美しさと、洗練された形態の一致を見ることが出来ます。 ルネッサンス美術と言うと一般にミケランジェロやレオナルド ダビンチを思い浮かべますが、私には彼らは既にその後のバロック美術への入口に立っている巨匠ように思えます。

その後のイタリアの絵画史は技術的にはすばらしい発展を遂げます。その大きな要因は遠近法の発見と油絵の技法にあると思います。単に人物の動きの描写力だけでなく、天井画では下から天使を見上げるアングル等難しい手法をこなしていく過程にその成果は表れています。

ティエポロやティントレットはその頃の代表的な画家ですが、それは同時に初期のフレスコ画が持っていた素朴な詩情が次第に失われてゆく過程でもあります。

この連綿と続くヨーロッパの絵画史の流れは彼らの忍耐強い技術習得の歴史を見ているようであり、又あまりにもそれが明瞭に理解できる点が、大変面白く感ぜられます。これは宗教建築についても同様なことが言えるでしょう。

私は南フランスのプロヴァンス地方にある、ロマネスクの代表的建築である、ル.トローネの修道院を訪れた時の事を思い出します。暗いヴォールト天井の室内と、重く厚い石の壁体にかろうじて開けられた、小さな銃眼のような窓からのかすかな光の対比が強烈な印象を与えます。しかしその後に続く明るいキオストロや天井や柱頭、窓廻りのディテール等のシンプルな表現が、逆にすがすがしい印象を与えてくれます。

その後、建築の世界も絵画史と同じ道をたどるのですが、私はコルヴィジェのロンシャン教会を見た時、晩年の建築家がロマネスクな世界に次第に回帰していったことを強く実感し、コルヴィジェの最後に憧れていた世界をかいま見る思いがしました。

いずれにしろ、フレスコ画の流れ一つを取り上げて見ても、人間の表現行為が、最初の素朴な動機から、次第によりテクニカルな表現を目的とした方向に変質してゆく様子が理解できます。その中で何人かの偉大な芸術家達が単に技巧に流される事無く、その境目のぎりぎりの地点で踏ん張っているような気がしました。

2005/04/28

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