HOMEコラムINDEX>建築家のコラム
第33回 甲村健一

『住めば都』

10年ほど前から、文化庁が「国語に関する世論調査」を行っている。その中で、言葉や慣用句の持つ本来の意味を知らず、全く別の意味で使っている実例が報告された。そもそも私は、子供の頃から国語が不得意で、こうしてコラムを書くことさえ、憂うつなのだが、例を見て愕然とした。
ほとんど自分も本来の意味を知らないで使っていたのだ。

昔ほど上下関係が厳しくなくなり、仲間意識が尊重されてきて、いざというとき敬語をうまく使えなくなっていることは、自分自身も時折悩むことはあった。また本来の敬語の使い方とは少々違っても態度で失礼でなければとも感じていた。しかし同じ慣用句(言葉)でも正しく理解している少数の人と、勘違いしている多くの人とでは、受け取り方が変わるという事実に直面すると、常にお客様や現場などに、説明することを業としている建築家にとっても、「本来の意味」と「間違って使っている意味」の両方を知っているべきか?と考えさせられる。

たとえば、上記の調査結果では、「檄を飛ばす」は本来「自分の主張や考えを,広く人々に知らせて同意を求めること」という意味であるが、「元気のない者に刺激を与えて活気付けること」と理解している人が多らしく、また、姑息(こそく)な手段の「姑息」を「ひきょうな」(本来は「一時しのぎ」)と理解している人が多数いると報告している。(私もその一人だったが。(笑))また、実力があって堂々としていることを「押しも押されぬ・・・」と使ったり、物事の肝心な点を確実にとらえることを「的を得(え)る」といった表現は、私は普段から使っていた。恥ずかしいものだ。(本来はそれぞれ「押しも押されもせぬ」、「的を射(い)る」)

今回のコラムであえて苦手な国語(言葉)をテーマにしたのは、実際に身近な慣用句の使い方で笑い話になるようなことがあったからである。
私の事務所では、土地の選定から協力することが多いのだが、トータルコストが厳しい際には、お客様とご相談の上、希望された地域(都心)より、ずっと地価の安い田舎(私にとっては環境のよい横浜等)の土地を購入してもらい、その分、建築費の坪単価を上げ、ご満足頂ける空間を創り上げるよう努力している。その際、どうしても最初はお客様が住みなれた街(都会)周辺しか探されていない現実があり、住んだことのない街に抵抗感があることが多い。そんな時には、私は「住めば都ですよ!」と私の本心を伝えてきた。
ところが先日、会話がかみ合わないのに気づいた。住み慣れれば、どんないなかでも住みやすくなるという意味で説明していた私に対し、お客様の理解は「住むなら都会」と伝わっていたからだ。とても人のよい、明るいお客様で、その場は笑い話で盛り上がり、こうしてコラムにも記載できるだが、一瞬、国語の苦手な私が自信をなくし、自分の方が間違っているのでは?と、ひるんだことも事実だった。最後は人と人なのだが、言葉って難しいなと感じたひと時であった。本当の意味で「住めば都」になって頂ける環境をご推薦し続けられることを祈るばかりである。

2005/04/13

>コラムINDEXへ戻る