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第31回 伊東 智

『不便さの中の幸せ』

子供の頃、家の中で家族みんなが集まる8帖の和室に掛け時計がありました。この掛け時計は、ローテクで一月に1回程度ゼンマイを巻く作業をしなくては止まってしまう時計でした。

時計は高い所に掛かっていたので、定期的にその作業をするのは父の役目でした。
子供心に『大人の印』のように思っていたのでしょう。作業をする父の姿を見ながら早く時計のゼンマイを巻ける大人になりたいと思っていました。

大きくなった今、現在の我が家には掛け時計はありません。理由は、時計の代わりをしてくれる便利な物(テレビ、ビデオ、携帯電話、給湯器のリモコンなど)に時計機能が組み込まれているため、容易に時間を確認出来るからです。

しかし、機械の中に組み込まれた時計には温もりは感じられず…ただ表示している感が拭えません。反対にローテクでしたが、子供の頃の掛け時計には『味わい』のようなものがあったように記憶しています。

チクタク、チクタク、ボーン、ボーンという音に時を刻み込む力を感じていたのかもしれません。又、自分の中にセピア色した昭和の風景を、古き良き時代と思い込んでいるからでしょうか。

今後 これからも便利な事を社会は求めていく事となるでしょう。

私の身近なハイテクの代表例として、カーナビがあります。行き先を入力さえすれば間違いなく目的地に案内をしてくれる優れモノ。今後も企業努力の末、価格が下がりどんどん普及していくことでしょう。

でも今の私は、カーナビとは反対側に位置する地図を見て目的地に向かいます。まず目標物を定め、標識に注意しながら目的地を目指します。それでも道に迷ってしまったり、渋滞にはまったりして、イライラしながら運転しています。でもそんな時、良い建築に出会うことがあるのです。寸前まで、自分の判断ミスを棚に上げ、通りすがる全てのものに文句を言っていたのに、偶然出会えた建築物に幸せを感じたりしています。

時間があるときは、あえて不便を味わうことで、忘れかけている事や見逃している事を発見し、人間っぽい味わいを吸収出来るのではないのでしょうか。
便利と不便の境界に何かが隠されている…と私は思い、小さな感動を探しながら日々生活しているのです。
2005/03/23

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