HOMEコラムINDEX>建築家のコラム
第30回 栗原正明



『風景について』

 私が毎日通っている事務所は6階建ての建物の5階にあり、玄関の扉は外廊下に面しています。近くには高い建物が無いので見晴らしが良く、毎朝その外廊下を歩く短い時間には、ささやかな開放感を味わう事ができます。見えるのは横浜郊外の平凡な風景。ゆるやかな起伏の中に点在する戸建の住宅、アパートやマンション、寺や神社など。畑や林もいくらか残っています。それらが特に決まりに従うでもなく、離れたり固まったりしながら雑然と広がっています。

 私にとってこうした風景は見慣れたものなので、普段は特に立ち止まって眺めるという事もなく、空模様などを気にしながら通り抜けてしまうのですが、事務所を訪ねて来る人達からは色々な感想を聞くことになります。社交辞令もあるでしょうが、大抵の人は「見晴らしが良いですね」といって褒めてくれます。美しいものが見える訳ではないけれど、遮るものが無い高い所から見るから見晴らしが良い、そんな風に思われるのでしょう。

 ところがある日、久しぶりに会ったドイツの友人を事務所に案内した時には、思いの他厳しい評価をされてしまいました。英語で言われた事もあって正確な言葉は忘れてしまいましたが、要するに「嫌な」風景だというのです。私も決して美しい風景だとは思っていませんでしたが、嫌だとか醜いだとかは思った事がなかったので、どこか釈然としない気持ちになりました。

 しかし考えてみれば彼がそう思うのも無理は無いのです。何年か前に彼の住むベルリンを案内してもらった事がありますが、確かに私の事務所の外廊下から見えるような風景は見られませんでした。見えなかったというより有り得ないという感じです。ベルリンはドイツの中では歴史の浅い都市で、古い石造りの建物ばかりが建っている訳ではなく、全体的にはむしろ特徴の無い集合住宅や戸建住宅が並んでいる印象ですが、彼が嫌だと思ったここの風景とは違って、どこも実に整然としています。おそらく道路や公園まで含めて、都市の至る所が個々の建物と同じように「計画」されているからなのでしょう。

 それと比べると、私が毎日接している横浜郊外の風景はやはり褒められたものとは言えないでしょう。それでも私は、この風景は良くないから別の場所に移りたいとか、もっと整然とした風景になって欲しい、などとは思いません。まして自分の手で計画的に作り直したいとも思わないのです。
 もし個人的な思い入れの他に、ベルリンのような整然とした風景には無いその風景の良さがあるとしたら何でしょうか。上手に説明するのは難しいのですが、初めに書いた開放感という言葉がふさわしいかもしれません。それは高い所から見える風景だからという理由だけではないように思われます。

 もう一度その風景を見直してみると、確かに道路も街並みも計画らしい計画はされていませんし、建物の形や色もばらばらです。しかしその中には全く異質というようなものもまたありません。それぞれが少しずつ違うものが並んで、結果として何となくひとつの風景ができあがっているのです。そこには整然とした街に感じられるような、息苦しさやよそよそしさといったものはありません。

 考えてみれば、それぞれの建物にはそれぞれ違った人が住んだり働いたりしている訳ですから、もしろ整然としていないこうした風景の方が自然だとも言えるのではないでしょうか。例えて言えば、普段街中を歩くたくさんの人々は、それぞれに違う表情をして、違う服を着て、違う方向へ歩いていて、決して軍隊が行進する時のように整然とはしていませんが、その全体からはまとまった賑わいとか活気とかいうものが感じられます。

 私の事務所が面している外廊下から見える風景の中には、残念ながら私が設計した建物はありません。もしいつかそうした機会ができたなら、周りとは少しだけ違った個性的な表情を持ち、それでも周りに対して異質ではない。そんな建物を設計して風景の中に参加したいと考えています。
2005/03/15

>コラムINDEXへ戻る