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第234回 栗原正明

『 なるべく漢字で書こうとすると 』

最近読んだ本で最も感心させられたのが、田中克彦さんが書いた「漢字が日本語をほろぼす」(角川SSC新書)と言うものだ。
今まで、日本語にとって漢字は無くてはならないもので、その使い方に注意する事はそのまま言葉を大切にする事だと思っていたから、初めにこの題名を見た時には、驚くと同時に疑問を感じた。
この本によれば、漢字は日本語を不自由で解り難く、閉じたものにしているばかりか、差別を助長していると言う。
その考えの全てには賛成できないが、無視できない貴重な意見である事は確かだと思う。

自分の事を顧みると、普段文章を書く時には、なるべく漢字を使うようにしている事に気付く。
それは難しい漢字を並べると言う事ではなく、易しい言葉を漢字で書くと言う事で、例えば「いうこと」ではなく「言う事」と書く事だ。
はっきりした目的を持ってそうしている訳ではないが、文章をなるべく解り易く正確なものにしたいと言う気持ちが有るのだと思う。

しかし中国語(田中さんによれば漢語)や韓国語(同様に朝鮮語)と比べれば明らかなように、日本語の中では漢字の扱い方があまり整理されていないので、色々と不都合を感じる事が多い。
そして辞書を見ても答えが見つからず、尋ねるべき人が居ない場合は、自分なりの判断をするしかなくなってしまう。
以下、具体的な例を幾つか挙げてみる。

2つの「辛い」
中国語でも韓国語でも大部分の漢字の読み方は1つなのに、日本語の場合は大抵何種類も読み方が有り、困る事が多い。
例えば、「辛い」には「からい」と「つらい」の両方の読み方が有り、送り仮名でも区別できないので、意味は文脈から判断するしかない。
自分としては、「からい」、「つらい」と平仮名で書いて区別するようにしている。
中国語では、「からい」なら「辣(la)」、「つらい」なら「辛(xin)」か「苦(ku)」を使う。

「遅い」と「晩い」
逆の例で、「はやい」には、時間を言う場合と速度を言う場合が有って、漢字で書く時にはそれを「早い」と「速い」と言うように使い分ける事になる。
しかし「おそい」となると、「晩い」が常用漢字の使い方として認められていないので、両方とも「遅い」になってしまう。
自分としては、時間の場合は「晩い」、速度の場合は「遅い」と書いて区別するようにしている。
中国語では、時間なら「晩(wan)」、速度なら「慢(man)」か「遅(chi)」を使う。

「話」と「話し」
漢字に日本語本来の言い方を当て嵌める「訓読み」と言うやり方は、韓国語などには無いもので、色々と不都合を感じる事が多い。
例えば同じ「話」の読み方が動詞であれば「はな(す)」、名詞であれば「はなし」となってしまう。
自分としては、名詞についても動詞と同じように「話し」と書いて、読み方を統一するようにしている。
しかし「みつもる」、「みつもり(しょ)」のような場合は、慣例に従って「見積もる」、「見積(書)」と使い分けて書いている。

「行って来る」、「うまく行く」、「やってみる」
漠然とした言葉や補助的な言葉に漢字を当て嵌めようとすると、迷う事が多い。
例えば「いってくる」は、行った後で来る訳だから、自分としては「行って来る」と漢字を使って書いている。
「うまくいく」の場合は、「うまく」を「上手く」と漢字で書く事には違和感が有るので平仮名とし、「いく」には「(事が)運ぶ」と言う意味を込めて「行く」と書き、全体としては「うまく行く」と書くようにしている。
「やってみる」の場合は、「やって」には適当な漢字が無く、「みる」には「試みる」と言う意味を込めて漢字で書きたい所だが、「やって見る」は感覚的に不自然なので、「やってみる」と全て平仮名で書くようにしている。
しかし韓国語で考えると、「やる」の「ハダ」と「見る」の「ポダ」を合わせれば「やってみる」の「ヘボダ」となるのだから、それを考えれば「やって見る」と書いてもおかしくはないだろうとも思う。

以上、4つの例を挙げたが、似たような例はまだまだたくさん有る。
もし漢字を捨てる事でこのような煩わしさが無くなるのであれば、随分楽だろうと言う気がする。
そして現実的には、漢字をなるべく使わないような書き方が有っても構わないし、少なくとも訓読みに当たるものついては、全て平仮名で書いても困らないのではないかとさえ思う。
ただ自分としてはもう少し、漢字に拘ったまま文章を書いて行きたいと思っている。

2012/02/04

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