HOMEコラムINDEX>建築家のコラム
第216回 青木恵美子

『 ただいま! 横濱 』

15年程前、横浜市立大学の市民研究員として「国際都市横浜を考える」というテーマで論文を書きました。それは「国際」というネーミングが水戸黄門の印籠のようになった時期(その後に環境、情報へ)で、応募した多くの人は「国際」のプロでしたが、私は単にハマッコである建築家として「横濱」にノスタルジーを求めて「国際都市横浜を考える」という単純なわかりやすいテーマでしたので採用されました。本当は「横濱らしい街」ということで"らしさ"を研究したいと申し出ましたら、"らしさ"などという曖昧なモノを論文にするのはおかしい、、と一笑にされたのですが。。。(時代ですね、いまでしたらあり!ですね。)

当時はみなとみらいが今のように賑わっている街になる前の段階で、私が意義を唱えたのは みなとみらいのけやき通りの先にある風景です。横濱という街のイメージは、ハイカラでエキゾチックな港町であるはず。それを幕張なのか、お台場なのかわからないような均一の街並にしたことで、"街のアイデンティティー=横濱らしさ"に意義を唱えて論文にしました。
初期の槙文彦先生のマスタープランでは「横濱」のイメージが見事に描かれていましたが、それが実施段階で水際線が変更され利権がからみ、「港」で儲けることで現在のような街並になったようです。横浜ランドマークタワーと横浜美術館の間のメインストリートであるけやき通りを展示場パシフィコで塞いでしまう"港"を感じらない街づくりが悔やまれます。人が歩く目線からも臨港パークが見えるようにすれば「港町横濱」を演出できてステキだったのに。。。
しかし、今はランドマークからパシフィコまでのストリートでお金を落とすつくりになっているので、経済効果の面では横浜市は成功したのかもしれません。しかし、街づくりまで経済優先の考え方でいいのでしょうか?勿論経済効果も大切な事の一つであるとは思いますが、街づくりで最も大切な事は、"その街らしさ"であると思います。

石川町から中華街を抜け、さらに港に向かって歩くと、山下公園が現れその先に港が見えます。
その瞬間に「あ~ 港町横濱の風景」と思うのは私だけでしょうか?
けやき通りから歩くごとに国際展示場の建物が目の前に迫るのではなく、臨港パークが大きくなりその向こうに港がどんどん広がっていけば。。。
きっと もっともっと「世界へ開く港町横濱」を演出できたことでしょうに。。。
  街にはその街 独自のアイデンティー=街のらしさ があります!
その街ならでは"街のらしさ"があってこそ、人はその街を愛し戻ってくるのだと思います。

話は今に、、、 3.11の震災は人類に2つの大きな教訓をもたらし、日本人は「価値観」を求められているのではないかと思います。2つの教訓とは、3年前のリーマンショックが教えてくれた経済至上主義の功罪。そして私たちが科学技術の産物としてきた原子力発電が自然の力に脆くも崩れた3.11の震災からの教訓は、科学の力の過信、科学技術の向上への反省だと思います。
一年中シャツ一枚でいられる環境、指一本で何でもできる暮らしになった科学技術の力。
経済発展、科学技術向上を"豊かな暮らし"として求めてきた事、その「価値観」を見直すべきなのではないしょうか。。。
本当の"豊かな暮らし" とは、、、
"豊かな暮らし"、"豊かな街"とは、経済発展や科学技術を結集した恒常的なモノでなく、その地域ならではの暮らしであり、街であるのではないでしょうか。。。

横濱に生まれ育ち「港町横濱」を愛する私は、8年ぶりに活動拠点を横濱に戻しました。
元町から山手にあがる代官坂で"横濱らしい"山手の洋館のようなサロンで活動します。
ただいま! 横濱!

2011/06/04

>コラムINDEXへ戻る