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第185回 後藤 武

『 横浜 』

横浜を見たことがない。小学生の頃、横浜の歴史を学んだ。鮮烈だったのは、横浜の起源が神奈川宿の横に長くひろがる砂浜であり、今の横浜駅は海の中だったということだ。それ以来その長く続く砂浜の想像上の風景にひかれて、海岸の痕跡をさがしもとめて歩くことが習慣になった。子供の頃のことだ。

砂浜は最も開発による変化にさらされやすい地形だから、それがすぐさま消失してしまったことは容易に理解できる。しかし旧東海道沿いなどあちこちに断崖がのこっていて、その下が海だったことを思い起こさせる。

地層をみつけて海の生物の化石をさがしたり、ダイヤモンド地下街の大理石に化石が埋め込まれていて、それが横浜産であるはずもないのに喜んだりした。地盤沈下がひどかったときは横浜駅が海に沈むのかと心配しつつ、新田間川が氾濫すれば水に浸るビル群にひそかに興奮したりした。

地方の海辺の町で、横浜という名前の海岸に出くわしたことがあった。同姓同名の人と出会ってしまったときの軽い困惑に似た気持ちを感じながら、そうかやはり横浜とは浜辺のことだったのだと妙に納得した。

母は子供の頃本牧の岬や根岸の湾でよく海水浴をしたという。1950年頃のことだ。根岸の湾は今では石油コンビナートがひろがっている。桜木町の京浜東北線の線路の向こうは、かつて海岸線だっただろうが、しばらくのあいだは三菱ドックだった。横浜の砂浜は実際には見たことがないけれど、産業が作り出したこうした風景は自分にとっての原風景であり、実際に時間と場所を共有してきた愛着がある。三菱ドックは、さらに消去されてみなとみらいになった。風景が書割のように塗りかえられている。

昔を取り戻し自然に回帰したいと思っているわけではない。いまここに現実にあることをこえて、異なる世界がかつてその同じ場所を占めていたことを透視したいという欲求がある。変化とは、新しく生まれたものだけが残され、過去が消去されていく過程ではない。パリの石畳の下にも、砂浜があるらしい。

2009/12/11

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