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第170回 藤江 創

『 大桟橋 』

大学3年生の時、親が横浜に引越しをすることになった。当時荻窪駅のすぐそばに下宿していたのだが、通学時間にさほど差がないこともあり呼び戻された。
同級生には横浜から通っている者を多くいたので、街にはすぐになじむことができたのだが、横浜をちゃんと見つめるきっかけになったのは、1994年に行われた大桟橋の国際コンペである。

大学3年生だった私は、後に就職する今村雅樹アーキテクツにもぐりこみ、コンペがあれば、模型を作ったり図面にトーンを張ったりしていた。バブルの影が色濃く残っており、公共の文化事業に対してもおおらかな雰囲気があったのだろう。一級建築士事務所の資格があれば参加可能な公開コンペが沢山あったように思う。そんな折に、大桟橋のコンペは行われた。

横浜に住んで間もない私は、敷地の写真を撮るべく、ランドマークタワーの展望台にのぼったり、山下公園を自転車でグルグルまわったりした。久々に大地を味わう場所として、どんな空間がふさわしいのか。逆に大地としばらくお別れする空間として何が求められるのか?目的をもって考えながら街に接すると、目的以外の様々な情報も入ってくるもので、横浜を好きになるよいきっかけになった。

われわれの提案は惜しくも3等という結果に終わった。当時活躍していた国内外の設計事務所が軒並み参加したコンペで入賞したわけだからたいした物なのだが、実施コンペの場合は最優秀賞しか現実にならない。惜しいところまでいったという反動もあり最優秀賞をとった現大桟橋の行く末は大いに気にしていた。

コンペの審査時から竣工に至るまで、様々な問題があったようだ。構造方式を変更したり、予算が大幅に超過したり、スケジュールが遅れたり、、、そんな困難を乗り越え、2002年に竣工した。

気が向くと訪れて、うねったスロープをぐるぐる歩く。内部の異様な暗さは気になるが、昔の船の甲板を思わせるデッキ材がうねりながら内外に繋がる様は、けっこう好きだ。以前大島に行ったときに、大桟橋から乗船したことがある。みなとみらいの超高層を背景に、ベイブリッジをくぐり太平洋に向かう。そんな風景を客観的に創造したときに、平べったい柔らかなシルエットを持つ大桟橋は控えめで、けっこう好きだ。コンペで負けたときはわれわれの提案のほうが断然よいと思っていたが、この建築にはそれとは異なる説得力があり、私のけっこう好きな場所(建築)の一つとなった。

ただ、一つ腑に落ちないことがある。コンペでプランを検討していたとき、氾濫する要望を半ば無理矢理詰め込んでやっと納まった覚えがある。しかし現実にできたものは、そのほとんどが自由に立ち入り可能なオープンスペースと思える。建築の構成上、そのほうが面白い空間になってよいのだが、そんなに余裕のあるプログラムではなかったような気がするのだが、、、それって負け惜しみですかね。

写真09.07.22の米イージス駆逐艦来航時
2009/08/03

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