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第106回 増田 奏

『横浜三渓園 聴秋閣』

おしなべて見れば、日本の木造建築は「平屋」を基本として発展しつつ、その規範が整えられたとおもえる。

現存の木造で世界最大を誇る奈良東大寺金堂といえども、ニ層に見紛う外観は架構上の工夫(バットレス)に過ぎない。大仏を座らせた内部は一層の空間で、文字どおり「伽藍として」いる。鎌倉円覚寺舎利殿をそのままスケールアップしたと考えれば、規模以外に驚くことはない。
三重塔や五重塔でも内部は吹き抜けており、複数の階を積層しているわけではない。京都御所紫宸殿の威容でさえ、その高さの過半は屋根である。このプロポーションが社寺から農村民家に至るまで共通しているわけは、屋根勾配が五寸を下ることがないという単純な風土的理由による。(諏訪湖周辺の民家が唯一の例外)飛騨山中の合掌造りがこの究極だが、上層部は「小屋裏」であって「階」ではない。極端な家長制度の歪みがこの小屋裏に封印されていた。つまり認知されぬ空間。

平面が建具の組合せで構成され、特に有効な耐震壁を持たない典型的な軸組構造で巨大な小屋組を浮かせるには、一層で既に安定限界ということなのであろう。ニ層ではたちまち架構上、ひいては意匠上に破綻をきたす。「納まらない」のだ。ただ不思議な例外が法隆寺金堂。明確なニ層にもかかわらず、どこにも破綻がない。その完璧さは立面四面に優劣をつくらず、いわばロトンダである。
この奇跡が特異な伽藍配置を生まざるを得なかったのかもしれぬ。

とにかく、平屋以外の複層建築は我国においては総べて「異形」であり、異形は「町家」「楼」「閣」に大別される。

「町家」は表のファサードのみ設えて、あとは坪庭も含んだインテリアデザイン。架構はプライドを捨て、臨機応変、内部造作にへつらう。裏返しの建築である。

「楼」は宿場の旅籠である。旅籠は陽が落ちれば遊廓。夜も更ければ空間も人間も上下に重なるのは自然の成りゆきで、規範を超えることがむしろ道理である。温泉街のメインストリート両側に木造三層がそそり建っても「エエジャナイッカ!」つまり「楼」を構築したのは市場経済原理だから、ハイリスク=ハイリターン。

そして、自ら「異形」を表明した居直り確信犯が「閣」である。
日本各地の天守閣の壁面を飾る破風意匠はすべて架構と無関係。もうヤケクソ気味。名匠の作意の底には、もともと複層の架構に対する「諦観」があったのであろうか、「閣」には必ず諧謔の趣が込められる。頭を掻きながらの照れ笑いかもしれぬ。鹿苑寺金閣は三層の様式をそれぞれ変えてしまうという、アッと驚くルール違反。慈照寺銀閣も同様、しかも「規範の極み」とも言うべき端正このうえない「東求堂」を隣接対比させるという開き直りぶり。
聚楽第飛雲閣では奔放な「可笑しみ」に秀吉は大いにはしゃいだろうが、その後ろで匠は苦笑いしていたにちがいない。

さて、我が横浜に「三渓園」。その内苑に二棟の「閣」あり。「隣春閣」「聴秋閣」である。原三渓という眼力の天才のおかげで諧謔が「数寄」へと昇華したさまを間近に見ることができるのだ。中でも聴秋閣が白眉である。重要文化財だが国宝であっておかしくない。だが、こんな傑作を創造した匠はこの後に一体どんなものを造れたのだろうか?と、ふと想わずにはいられない。
(絵は数年前、ある建築関係団体の広報誌のために描いたもの)

2007/04/20

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