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第104回 野口泰司

『進化?する製図道具、家のつくられ方』

かつて材木店が軒を並べていた大岡川沿い。
歩いてみると1、2軒の材木店が残っていた。
建ち並ぶ高層建物は廃業した材木店が
容積率の緩和を機にその跡地に建てたマンション群。
本棚や身の回りを整理していたら、すっかり忘れていた頃の写真や物がたくさん出てきて、自分が社会に出てからこれまでの間の、大きな時代の変わりようを、改めて振り返る事になった。
身近におこっていた「変わりよう」の一部をお話してみようと思う。

学生時代、T定規と三角定規で設計製図に取り組んでいた。
色々な思いをこめながら1本の線をひいていた。だから、稚拙ではあっても、その時の思いが乗り移って、線に強弱や、勢い、濃淡の違いが生まれた。
建築事務所に就職すると、それがドラフターという製図道具に代わり、その後独立して、横浜に小さな自分の事務所を持ってから大分経って、パソコンなるものが登場、キャドによる製図に代わる。
一本の線が一瞬の内にひかれ、抑揚は無いがきれいに書けるので、うっかりすると騙されてしまう。そんな書き方になった。
パソコンが登場した頃には、こんな複雑で面倒なものを扱うことが、世の趨勢に本当になるのかと、いぶかしがっていたいたのだけれど、今やパソコンなしでは、夜も日も明けない。
遂に、広くも無い仕事場が、パソコンとその周辺機器、そして大型コピー機に占拠されてしまう。
毎日パソコンの前に座り、図面を書き、メールを確認し、何かと言えばインターネットを利用して色々なことを調べる。
パソコンに代表されるコンピューターが、つくる建築までも変えようとし始めている。

家のつくられ方も本当に変わってしまった。
小学生時代、あの伊勢佐木町通りと京浜急行の間を流れている大岡川沿いには材木店がずらっと並んでいて、そこで大工職が墨付け、刻みをして、そうして家が建った。
大工の棟梁が家づくりの要にいて、始めから終わりまで、棟梁が誇りをもって見守っていた。
ハウスメーカーのつくる家など馬鹿にしていたものだったが、その営業力、宣伝力に立場は逆転し、大工や関連職は、過酷な労働条件でハウスメーカー他に吸収されていく。
大工の集まらなくなった大岡川沿いの材木店は1軒、2件とつぶれ、もう大分前に、全く姿を消してしまった。
ということは、その仕入先である、材木市場の大後退がおこっていた筈だ。
少し力のある大工職から進化?した工務店や、地域ビルダーが、ハウスメーカーに対抗しているが、彼らは、材木店や大工職にではなく、プレカット工場に柱梁などの構造材の材と加工を委ねてしまう。
そんな訳で、かつての無数にあった材木店に変わって、大規模プレカット工場が住宅の構造材流通の末端と加工をになっている。
極めて短期間で加工される構造材が建設現場に運ばれ上棟すると、工務店、あるいは地域ビルダーの傘下に流れた、一方の大工職の手によって造作工事が進められる。
造作工事といっても、手間のかかる部材は、外部のいわゆる加工場にまわされ、大工職の仕事は部材の取り付けに集中するといった感じになる。
家づくりの工程は切れ切れに分断され、現場監督のコントロール下におかれることになった。
総じて、スケールアップし、効率があがり、安くはなっているのだが、その分、何かせわしくなり、誰かが頑張らないと、何かが削り落とされる。

娘が薦めてくれた「コーチング」(山田淳子/井上将司著、ライトワークス発行)と言う本に今の世の中、変化が激しく、「過去の体験に基づくコーチング=指導はナンセンスで、現時点の情報を的確に集め、そこから新たな方法を発見していくように指導するのが最も有効である」といったことが書かれているそうだが、
僕自身の過去から現在を振り返ってみると、変化のスピードは、確かに、「効率を上げる為に」加速度的に増している。

2007/04/07

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