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第103回 鈴木信弘

『アコースティックギター』

小学校の頃、岡山に住む祖父の家に遊びにいくのが好きだった。
古めかしい部屋に置かれたデンと構えるステレオのカセットデッキでそこらへんに積み上げられているレコードやテープを片っ端から聴くのが好きだった。最初はクラッシックのレコードを聴いていたが、不幸にも芸術的なそれらにはほとんど反応せず、強く印象が残ったのは、当時のシンガーソングライターと言われる、小椋圭、井上陽水、吉田拓郎、小室等、PPMなどの、ギターを弾きながら唄う音楽に憧れた。
決定的だったのは「俺たちの旅」というテレビドラマで主演の中村雅俊が弾く「ふれあい」という曲。その曲弾きたさに、レコード屋の天井にビニール袋に包まれたまま吊り下げられた2万円のギターをようやく買ってもらい、教本なるものを買って付録のソノシートという薄いレコードを聞きながら、独学で飽きずに毎日練習した。
最初に覚えたコードはEm(イーマイナー)という最も重く暗い和音。難所と言われるFというコードを押さえるチカラも筋トレを経て乗り越え、「22才の別れ」が弾けるようになる頃にはすっかり70年代フォークソングにドップリと深みに入り、「かぐや姫」「ガロ」「さだまさし」「チューリップ」「NSP」の曲はほとんど弾き倒した。
しかし当時、時代はすでにロックバンドブーム。エレキギターの連中がベンチャーズやビートルズに始まり、ディープパープル、ツッペリンなど、女の子にモテる曲をバンドで演奏するのとは裏腹に、女々しい4畳半フォークが染み付いてしまい、暗く地味なフォークソングはマイナーな存在。それを打破するためになんとか「ブレット&バター」「オフコース」「浜田省吾」までを覚えて高校時代を終えた頃には、身の程も知らずそのままプロのミュージシャンになるつもりで大学受験は一切考えず、親に隠れて、高校では生徒会の打合わせと嘘をついてまで学校に残り、ギターを弾いていた18才の頃でした。
その後、すっかり忘れていたギターに30才後半に目覚めて、再びはまっている。
腕はそのまま上達するはずもなく、すっかりコレクター道。当時憧れても手にする事も出来なかった名器、ギブソンやらマーティンやらオベーションなんて言うギターを次々と手に入れてしまい、ついに15本まで増えてしまった。
「あのさ〜!そんなに何本も必要ないじゃない!」なんて妻の言葉をかわすためにいろんな理由をつけて「事務所の隅で、将来ギターショップやるんだよ、、」とか「今度のライブで使うかもしれないじゃん、あの曲はこのギターの音でないとダメなんだよなあ、、、」など腕の悪さを楽器に頼る始末に呆れ我が家の猫までギターケースで爪とぎをする顛末。
今日もまた1本。1970年のポールマッカートが、ウイングスのワールドツアーで弾いてレコードジャケットに写っている、そして当時のオフコースの小田和正が武道館ライブで弾いた12弦のギターをオークションで落としてしまった。
狭い部屋がますます狭くなるじゃない!なんでこんなに集めるの?
収集癖は男特有の現象なのかしら? 
「いやいやマニアって文化を支える重要な存在なんだぜ。」
なんて言い合いをしている時にTVニュースでは、訳の分からないゴミを自宅に集めすぎて身動きが取れなくなっている近所迷惑な「ゴミおじさん」が写る。
「俺たちから見るとゴミにしか見えないけど、きっと彼にとっては必要なものなんだよ。」
「はあ?」全然違うよお〜。あの人はただで拾ってくるけど、あなたは貯金を注ぎ込んでいるじゃない!・・・・・・ごもっともです。女は時に理屈で攻めてくる。負けた。
そう言えば自分は確かにお施主さんによくこういう説得をしている。
「そんな設備いらないですよ。シンプルが一番。きっと使い切れませんよ!やめましょう。」
施主には言っているのに、自分はどうなんだろう??・・・・・反省。

2007/03/03

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