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第100回 北川裕記

『「太陽の塔」 森見登美彦』

活字中毒気味なので常に何かの本を読んでいますが、少し前に読んだ本です。新聞の書評欄に著者が紹介されているのを見て興味を持ち、読んでみました。小説の舞台は京都です。私が住んでいたところからも近く、いろいろ思い出しながら読みました。また、昨年末からちょくちょく仕事で京都に行っていることもあり、京都の街の大きさということについて考えました。

大学入学を機に親元を離れ、これまで9回住むところを変えてきました。その最初が京都です。その後いったん東京に移りましたが、設計事務所に勤務中、現場常駐監理の仕事でまた京都にもどりました。全部合わせると7年ちょっと住んでいたことになります。住み始めて驚いたのは自転車が多いことと狭い道をバスが走っていることでした。生まれ育った名古屋は、とにかく道路が広く、バスはそうした広い道を走るものだと思っていたので、片側1車線ずつしかない道をバスが走っているのは驚きでした。もうひとつ感じたのは、案外街が小さいなということでした。もちろん観光スポットとして採り上げられる名所は周辺にも散在していて、それらを含んだエリアは広く、またイメージとしての京都はその広いエリアであることは十分理解しています。でも京都の街は小さいのです。学生時代の移動はほとんど徒歩でした。時間がいくらでもあったからでもあり、私の行動範囲が限られていたからでもあるのですが、1時間も歩けばたいていのところには行けていたのは、やはり街が小さかったからだと思います。

先日乗ったタクシーの運転手さんが「子供を住まわせるのも京都なら安心ですわ。大阪や東京ではちょっとなぁ。」と言っていました。運転手さんの感じ方と同じではないかも知れませんが、この安心感も私が京都の街の大きさについて感じることです。東、西、北を山に囲まれているのが街中どこからも見えて、街の「縁(ふち)」がわかる。空から見下ろした街の全体像と今自分がそのどこにいるのかがすんなり把握できる。京都を歩いているとそんな感じがあります。私だけかも知れませんが、東京や名古屋、それに今住んでいる横浜では、そもそもそんなふうに感じたい、把握したいという欲求が起こりません。

これからしばらく引越すことはないと思いますが、ずっと年をとったとき、もし住むところを選べる状況にあったら。おいしい魚の獲れる海の近くか、そうでなければ京都は下鴨あたりの鴨川沿いがいいかなぁ、などと考えています。

2007/02/10

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