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第10回 池和田有宏

『私の原風景』

私の幼少時の生活環境は、同じ都会育ちでも、今の若い人達が経験した環境とは時代のづれで大分異なったものではないかと想像します。

私の生まれた場所は大井町の下町の一角で、当時としてもかなり古い造りの家でした。南側は一筋鴨居の雨戸が鍵型に曲がった縁側に沿って一列に並び、昼間雨戸を開けると和室との境にあるガラス入りの障子のみ、外部に接する開口部でした。唯一ある炭の火鉢の暖房では冬はかなり寒く、毎冬必ず手足のしもやけで悩まされたものでした。台所の一寸程の厚みの床板を上げるとそこは暖房用の木炭の置き場所になっていました。当時はまだ戦後間もない頃で、電気洗濯機、電気冷蔵庫、ガスの風呂釜等、今の我々には欠かせられない生活設備機器は、私の小学時代の成長と共に世に出まわり始めて行きました。今から思えば最初の頃は明治の時代とあまり変わらない住環境だったと思います。

私の覚えている高い建物と言えば、小学校半ば頃に建てられた駅前の大井阪急デパートくらいです。二階建てが標準的な街の建物の高さで、晴天の夕方JRの線路越しに富士山が眺められました。 もう一つ今との大きな違いはまだ廻りに自然が多く、特に田舎には生命力溢れる自然が残っていた点でしょう。都会にもまだ原っぱが多く残っており、当時昆虫少年であった私にとって、近くにある大きな寺の境内など、採集場所は家の近くでも充分見つけることが出来ました。この頃の体験は今でも色々なシーンとなって思い出すことが出来ます。

近くの神社で見つけたシロスジカミキリの採れる秘密の場所。榎木の梢高くきらきら七色の羽を光らせて飛んでいるヤマトタマムシ。東京近郊の親戚の家によく泊まりに行った夏の夜、近くの豆畑から明かりに向かって湧いて来るように飛来する金属色のマメコガネの群れ。クヌギ林の中をゆったりとを飛んでいる真っ青に輝くオオムラサキの優美な姿。中学始めに登った日本アルプスの常念岳で、お花畑に群がっていたタカネヒカゲとクモマツマキの大群。一度捕虫に失敗すると天井高く見えなくなってしまうアサギマダラの雄飛。浅間の湯ノ平で初めて捕まえたキベリタテハの鮮やかな色等々。私の昆虫採集熱は高校時代まで続きますが、こうした体験は私の建築設計に対する好みの点で意外と大きなウェートを占めているかも知れません。

十数年前山口県の湯田温泉の近くに歯科診療所の新築工事を頼まれた時、田圃のあぜ道を歩いていて、その生命力の無さに驚いたことがありました。私の思い出にあるあぜ道は、そこを歩くと一勢にトノサマガエルが飛び込む、イナゴやドジョウ、昆虫類の宝庫のような光景です。

大学卒業後イタリアの建築設計事務所で5年程働いていましたが、ここでの経験は次の私を作ってくれるステップになったようです。特に立体的抽象造形について深く考えさせてくれる機会になったようです。一方、型を通して物を見る伝統的な日本文化について開眼したのもこの経験によるところが大きいでしょう。

幼少期の自然に即した日常的な具体的生活。デザインと言う抽象的な造形世界。この二つの経験と共に今の私があるような気がします。
私にとっての理想の建築は、造形的にはコンセプチャルな抽象性、同時にその中に感じられる自然性の両立が基本だと考えています。

さて最近造った住宅のビオトープの池で、水辺の植物と共に野生のメダカが雨水だけで充分育つている事に少々自信を得ました。次の家でも再び計画しているのは、私の今まで引きずってきた体験の中から、無意識の内に施主に対し思う、私からのプレゼントなのでしょう。
2004/10/05

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